【ノムさん死去】葬儀/告別式・お別れの会の日程を調査!野村克也は名言・名選手を残した名監督

日本の野球界に多大な功績を残した名監督がこの世を去りました。

2月11日にノムさんこと野村克也さんが虚血性心不全のため死去。

野村克也さんの監督現役時代では、数々の名言を残したのと同じくらい、数々の名選手を輩出しています。

今回は、逝去された野村克也さんの葬儀・告別式とお別れの会の日程について調査しました。

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「ノムさん」野村克也さんの葬儀・告別式とお別れの会の日程

2月11日に虚血性心不全で逝去された野村克也さん。

その葬儀・告別式と後日行われるお別れの会の日程は、現在のところ発表されておりません。

情報が開示され次第、随時掲載する予定です。

野村克也さんの住まいは東京都内のため、葬儀・告別式、並びにお別れの会は「青山葬儀所」が有力とされています。(確定情報ではありません)

野村克也さんの選手としての活躍…

18歳で南海フォークス(現ソフトバンクス)にテスト選手として入団します。

レギュラー出場しますが、目立った活躍はありませんでした。クビを覚悟しての3年目に花開きます、初タイトルの本塁打王を獲得し全試合捕手として出場しました。

そして、29歳で戦後初の三冠王を獲得するのでした。

現役時代の逸話として「つぶやき」が有名です。バッターの集中力をはぐらかすのです、「夕飯はどこで」とか、これから投げる球は「カーブ」が来るよとか、様々な(口撃)は代名詞です。

45歳までの現役時代、本塁打王9回、打点王7回、首位打者1回、ベストナイン19回、最優秀選手5回を誇る名選手です。

通算成績は、打率2割7分7厘、2901安打、657本塁打、1988打点、3017試合出場、打率以外は全て歴代2位を記録。生涯一捕手として一時代を築きました。

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野村克也さん監督しての活躍…

監督としての成績は、日本一3回、セリーグ優勝4回、パリーグ優勝1回、通算勝利数1565勝。

数字以上に特筆すべき点は、選手の育成・再生復活でした。他球団からトレードされた選手を意識的に主軸に添え、見事に復活させた手腕。プロ野球人としての心構え技術の向上よりも、あるべき野球人とはを問いかけ意識改革の必要性を強く訴求したことです。

怠慢プレーには容赦無く叱咤し、最善を尽くせが口ぐせ。

米ヤンキースの田中将大選手や元ヤクルトの名捕手・古田敦也さんら数多くの名選手を育て上げたのです。名言に「不思議な勝ちあり、不思議な負けなし」があります。

ある講演会の事、日本の頭脳と呼ばれたそうそうたる著名人と一緒に招かれた壇上での講話、誰一人「こっくりさん」はいなく、注目を一身に集めたそうです。

野球を超えた一つ一つの言葉には、野村人生訓がありました。

野村克也さんが育てた名選手たち

野村ノートと呼ばれる教科書がありました。データ重視するID野球を叩き込まれたのです。

頭を使う事で弱い者が強者に勝てるを信念に徹底して教えられた、個々のプレーに「なぜ」、「どうして」をワンプレー毎に求められたそうです。

名捕手ヤクルトの古田敦也さんです。悲しみのあまり何度も声を詰まらせて、また試合中にも関わらず直立で説教された事も数知れず。

強肩で巧みなリードで投手陣を引っ張って勝利に貢献。キャッチャー古田を野球界に轟かせたのです。

楽天時代には、田中将大選手を育てて、彼は現在メジャーリングで活躍しています。

今年、ヤクルトに加入した嶋基宏捕手は、2007年に大学生・社会人ドラフト3巡目で楽天に入団し捕手出身の野村氏から直接指導を受けて成長し、リーグ優勝と日本一に貢献するなど中心選手としてチームを引っ張り、野に出会っていなかったら今ユニフォームを着てここにいるかわからないと現役で、活躍しています。

高津巨吾さんは、入団時に一から十までプロ野球の難しさを教えてもらいました。と野村氏の指導の元不動のストッパーとしてヤクルトの黄金期を支えました。

現在はヤクルトの監督としとして活躍しています。

まとめ

2月11日に逝去されたノムさんこと野村克也さんの葬儀・告別式とお別れの会の日程情報でした。

現在のところ、葬儀・告別式は青山葬儀所が有力です。(確定情報ではありません)

お別れ会への参列をご希望の方は、最新の情報をご確認いただき、時間と日程をご確認ください。

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